top of page

オーガニックな自分でいること。


わたしのブログは


今、この過去記事が一番閲覧されています。










西洋占星術の惑星、リリスについて書いた回なんですが


検索ワードで


「ふたご座 リリス」 「強烈な拒否 リリス」






みたいな感じで


きっと、同じふたご座リリスの方が


見て下さってるんだと思います。





今年の4月に書いているのですが


今読み返すと


ちょっと過去やら世界中の歴史やらを


掘り下げすぎて、自分をこねくり回している時期だったと思います。






一番読まれている記事が


一番恥ずかしい。






自分を掘り下げるということは


スピ界隈や心理学とかでも





自分と向き合う、自分を愛するために


様々なメゾットがあって





その時に自分が「これだ!」と思うメゾットや


カリスマ性のあるリーダーさんに魅かれ


わたしも取り組んでみようとやってみる。






「自分を愛しましょう」という


スピな世界ではもう定例句になってるけど


愛がテーマになると、はっきり言って難しくないですか?







無加工なただの自分であることを


無加工な自分の存在を見つけてあげることを


すっ飛ばしては


自分を愛するなんて







他の誰かや、理想の生き方をしてる人を見て


自分はまだその段階にいない


足りていない。


あれがない、これがないを増幅させる。







そうしていくうちに


どんどん無加工な自分では愛されない


だから自分を愛せない


そして新しいメゾットへ飛び移る


そんな構造になっているような気がします。







いまのわたしは


掘り下げていくことよりも


今の自分をクリアリングする(整えていく)


とぃうことに徹底して過ごしています。







だからといって


過去の自分がやっていたことも否定しない


そのじぶんがあったから、今の自分がいると思っています。






過去記事とかは


ブレブレですんごく恥ずかしいのですが


それもまた自分の中の一部なので


そうだったのか、と受け入れることにします。







タイトルにもありますが


オーガニックな自分でいる


ということ。








オーガニックって


野生と違って人の手がかかっています。


素材そのものを生かし、


すべての自然物(世界)とともに循環していくもの。






私たち人間もオーガニック(有機物)だから


自分の素材がにんじんなのか


ピーマンなのかを見極めて


にんじんならば、にんじんとしてそのまま生きる。







でもじぶんがピーマンなのか、かぼちゃなのか


わからないから


わかりそうな人に聞きにいったりしてしまう


それもいいけど






わからないならいまはわからないままでいく。


わらかないまま自分が出来ることをやる。


この勇気が必要なのかもしれません。


















0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page